反応しない練習の実践

指示に従ってくれない運転手さんに、『イラッ』っとしてしてしまった。

やはり、「僕は正しい」という前提がある。

その運転手さんは、その運転手さんの「正しい」があるのに。

 

まだ、誰にもこぼしていない。

 

あ、いや。配車センターの大林さんに、ホンの少しだが愚痴った。

この行為は、自分は正しいと『承認してもらう為』の誘い水だ。

 

『反応しない練習』は、D.カーネギーの『人を動かす』と同じで、理解はできても、実践が難しい。

 

そして、実践できなければ意味はない。

 

まず、私は正しい訳ではない。

『嫌われる勇気』からのヒントを使って、課題の分離を行なおう。

 

僕が、指示を出すのは、僕の課題。

それを「受ける、受けない」は、相手の課題。

 

僕は、上長に報告をする。これも僕の課題。

上長がどう判断し、どう動くかは、上長の課題。

 

よし!

 

僕は、なにも怒ることもない。

 

軽くイライラしているのは、やはり、自分の思い通りに【コントロール】したいという、本性が、僕にはあるからなのだろう。

 

そして今。

その運転手の愚痴を聞いて、「あれはオカシイぞ~」とベテランがやってきた。

僕と同じ意見を、別の人に言っている。

 

それで、気分が良くなっている自分がいる。

 

やはり僕は、『自分の意見は正しい』と思いたがっている。

 

たとえ、相手が僕と異なる意見でも、相手は間違いなく「そう思っている」のだ。

 

そこを、僕が変えようと思ってはならない。